2000年5月21日
DC『久遠の絆 再臨詔』
輪廻転生をテーマとしたビジュアルノベル。
想像していたレベルは越えた作品だった。
"再臨詔" というサブタイトル(?)は、ただ単にPS版の移植だから……という意味にとっていたが、クリア後に読める「第2部」みたいな追加シナリオがあって、
それを読むと "再臨詔" の意味を納得させられた。
ただ、このシナリオの結末が秘石戦記ストーンバスターみたいな終わり方だったので、ちょっと嫌だったってのはあるんだが……。
制作会社であるF・O・Gのホームページの掲示板では早速、この追加シナリオとその結末についての議論がなされており、
「追加シナリオ、なんか同人誌的なノリで嫌」「追加シナリオ、あの結末はちょっと」「追加シナリオ自体が蛇足」などの、なかなか手痛い意見が飛び出している。
俺はPS版は未経験、このDC版が初プレイなので、追加シナリオ自体には特に違和感はなかったのだが、やはりPS版経験者からすれば色々言いたいことがあるのだろう。
どの意見も分からないでもない。中にはこの結末をほめる人もいる。
しかし結末をハッキリと語らないタイプの作品は決して傑作とは言えないというのが俺の意見。どうも「誤魔化した」としか思えないのだ。
悪く言えば、製作者がユーザーの最大公約数を狙ってどうとでもとれる解釈を施した、というところだろうか。これはある意味、卑怯だとも思う。
このタイプの結末の支持者は「プレイヤーに想像の余地を残してくれてて良い」という人が多いのだが、それは極端に、本当に極端に言えば、
なら、キャラクターと設定だけ見て、ストーリー自体、自分で想像して作ればいいじゃねぇか?ってことになる。
作り手は、むしろプレイヤーに想像する余地を残してはいけないというのが俺の、ちょっと乱暴な持論だ。
ぼかしたところが一切なく、作品の持つ圧倒的なパワーでユーザーをグイグイ惹きつけ、最後にデカい筆文字で「完」ぐらいはやってほしい。
結末をぼかしておいて「プレイヤーの数だけエンディングがある」とか言うのは詭弁もいいところ。
俺には「作り手が自信を持って結末を決められなかった」としか思えない。
プレイヤーは基本的にボタンを押して読み進めていくだけ。
なら小説でいいじゃないかと言う声も聞こえてきそうだが、新キャラクター登場時、そのビジュアルがすぐさま目に飛び込んでくることは小説では不可能だ。
特にこのゲームは輪廻転生がテーマで、誰が誰の生まれ変わりなのかが、キャラ絵を見ればなんとなくわかるので、この点は重要と言える。
……と、なんだかんだ書いたが、『久遠の絆』は良作の部類に入ると思う。
輪廻転生をテーマにした壮大なストーリーは読み進めていくほど圧倒され、思わずジーンとしてしまうシーンも多々ある。
しかし「他人に勧めよう」と思うまでには達していない、と感じる。
その原因のひとつが、ボリューム過多。
これだけボリュームのあるゲームを勧めても最後までプレイしてくれないんじゃないかという懸念だ。
しかもそのボリュームに対応するだけの感動があるか、と聞かれると、ちょっと悩む。
その長さゆえに、良いシーンがあっても、読み進めている間に上がったテンションが下がってしまうのを感じる点は残念だった。
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