2011年9月12日
ショーシャンクの空に 妻と、その不倫相手を殺した容疑をかけられ、冤罪で終身刑となってしまうアンディ。 しかし、新たに入所してきた囚人・トミーから、驚愕の情報を聞かされる。
「気分が落ち込んでいる時、人生に疲れ果てた時、生きることに疑問を感じた時などにオススメ」 ……などと絶賛されることが多い作品だが、個人的には、必ずしも感動できるとは限らないと感じた。主人公・アンディは刑務所内で様々な変化を起こし、囚人仲間や刑務官、所長にまで一目置かれる人物になるが、それができたキッカケが、元銀行員としてのスキルによるものだからだ。観終わった後の感動は確かにある。が、単純に「よーし、俺も頑張るぞー」という元気の貰い方はできなかった。 アンディは希望を捨てなかったのではなく、希望を持てるだけの下地があった。希望を持つには根拠が必要だ。普通の人は、それがないから絶望する。アンディが他の囚人にできないことを元々できたからこそ、そしてフィクションならではの尋常ならざる幸運が重なったからこそ、この物語は成立している。もしこれがノンフィクションなら素直に感動できたと思うのだが……。 この作品はヒューマンドラマの棚に置かれることが多いのだが、手法としてはミステリーに近い。無実が晴らされることもなく、刑務所で十数年が過ぎ行く様子を見せつけられるわけだが、各所に伏線が仕掛けられており、それが最後で一気に収束する。 では、結末に至るまでの過程は単なる伏線なのかと言うと、それもまた違う。ミステリーにおいて退屈になりがちな中盤戦を、「刑務所は罪を犯した者を更正させる場所なのか、それとも単に長い時間をかけて死刑より重い罰を与える場所なのか」、罪と罰、司法の在り方についての問いかけに使っている。この映画はヒューマンドラマであり、社会派であり、それらをブラフに使った秀逸なミステリーでもある。
しかし最後まで観ると、アンディの考えは終始一貫していたということに気付く。どんなに環境が変わっても順応し、現状に不満を感じているのなら、それを改善するための策を考える。一方で、日々をそれらを考えることだけに費やさず、読書や音楽、労働の後のビールなど、「今、生きていることそのもの」をちゃんと楽しむことを重要視する。そうした小さな積み重ねが、冤罪による終身刑という残酷な現実から正気を保つために必要なことだとでも言うかのように。 このあたりは、仕事が忙しくて家に居る時間がイコールで僅かな睡眠時間と化していた頃の自分を皮肉られているみたいで、ちょっと胃が痛かった。「あの頃のお前の生活は囚人以下だったのだ」と囁かれているようで。
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