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2011年5月 3日

八百八町夢日記 DVD-BOX

パッケージ パッケージ

『八百八町夢日記』は、北町奉行・榊原忠之(里見浩太朗)と、彼の手によって処刑されたはずの鼠小僧次郎吉(風間杜夫)のコンビが世にはびこる悪を裁く、という勧善懲悪の時代劇。榊原奉行は実在の人物で、遠山の金さんこと遠山奉行は、榊原の2代後の北町奉行らしいのだが、北町奉行って身分を隠して町民に紛れるのが伝統か何かなんだろうか……。

 全 68 話が2つの DVD-BOX に 34 話ずつ分かれて収録されており、元々の定価は1セット4万弱もするのに、なんと中古で1セット 2,500 円という破格で売りに出されていて、何かの間違いじゃないかと思いつつも購入。ホントに全 68 話が 5,000 円で揃ってしまった。古いし、マイナーな作品だからだとは思うけど、これはいい買い物だった。

 マイフェイバリット時代劇は『三匹が斬る!』で揺らぐことはないのだが、この『八百八町夢日記』も、好きな時代劇のひとつ。当サイトの前身となるサイトの日記コーナータイトルを「八百八町夢日記」にしていたくらいだ。夢崎というハンドルネームも、少なからずそこから影響を受けている。

 里見浩太朗演じる “榊 夢之介” は「夢のダンナ」「夢さん」などと呼ばれるのだが、その浮世離れした響きが好きだった。悪役からも「夢之介だと? ふざけた名前だ」と言われ、榊は口の端を歪めて笑う。

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 放映していたのは、もう 20 年前になる。子供の頃、夕食時に見ていたものだ。あの頃のテレビは夜に必ず時代劇の枠があって、毎日のように何かしら時代劇が見られるようになっていた気がする。

 世紀の怪盗と謳われた鼠小僧次郎吉が、おそらくは裏取引で命を助けられ、奉行の影の手下として動く。子供心にはこれだけでも結構ワクワクしたものだが、「元が盗っ人なだけに、たやすく裏切るのではないか?」という疑念もあった。しかし、劇中で鼠小僧次郎吉はそんな素振りは見せず、忠実に奉行に仕えている。命を助けられたから、というのはあると思うが、ここまで忠実になるというのは、北町奉行・榊原忠之という人物の人徳によるものなのではないか……という風に、鼠小僧次郎吉だけでなく、榊原忠之のキャラクターにも興味をひかれる辺りが、この時代劇の魅力でもあった。

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 流れとしては、町民に紛れて “榊 夢之介” として暮らす榊原忠之と、同じく一町民 “三郎三(さぶろうざ)” として暮らす鼠小僧次郎吉が、町で起こる事件を嗅ぎつけ、危険を省みずにガンガン潜入捜査していく。その際、ちょっとしたイザコザを起こして、“夢” の字が入った鉄扇を投げ、印象付ける。証拠がある程度揃ったところで奉行の姿で殴り込み、黒幕がしらばっくれたら鉄扇を投げつけて「お、お前は、あの時の!」という、まんま『遠山の金さん』方式。決めゼリフは「人の命をもて遊んだ貴様らに、もはや見る夢はないのだ!!」。カーックイイー!

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 時代劇は殺陣のシーンこそ見せ場、というものがほとんどだが、本作では殺陣はあまり重要ではない。この時代劇の核は殺陣ではなく、殺陣に至るまでの捜査パートにある。

 一奉行たる大物が、あらゆる変装を用いて黒幕たちに取り入り、命を張って潜入捜査を試みる。潜入のためなら誘拐はするわ、舞妓に変装するわ、辻斬り装って商人脅すわ、現代の警察では許されていない、おとり捜査の乱れうち。遠山の金さんも自ら体を張るタイプだが、黒幕の組織内部に、単身でここまで入り込むのはちょっと引くレベル。そんな榊 夢之介の無茶っぷりに毎回ハラハラしながら「時代劇じゃなかったら毎回死んでるなこれ……」と思いながら観るのが、この時代劇の正しい視聴法だ。

 でも女装する回はちょっと笑ってしまった。絶対バレるってこれ。声もだけど、明らかに顔デカいし。女だらけの中に潜入してるんだから、周囲の女も気付くだろ……。

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結構な長時間に渡って、この姿で舞を踊るシーンがあるのだが、ちょっとした放送事故の感も漂う

 里見浩太朗といえば今は『水戸黄門』だが、撮影のデジタル化のせいか、映像がクッキリと鮮明になりすぎて、景色が恐ろしくチャチに見えてしまう。アナログの頃の微妙に質の悪い映像が、昔の風景を逆にリアルに見せていた。時代劇に限っては、なんとかアナログ撮影に戻してもらえないかと思う。

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左が、同心役の船越英一郎。若い。

 しかし、子供の頃は単なる勧善懲悪劇だと思っていたが、大人になってから見てみると、別の見方があることに気付く。『遠山の金さん』もそうだが、いわゆる公的な組織のおエラいさんである人物が市民と同じ目線で町の出来事を眺め、町の人間が困っていれば、危険を省みず、事件に立ち向かう。人情味に溢れ、どんな悪人にも決して遅れをとることのない、完全無欠といってもいいレベルの強さを誇る人物。「人の上に立つのは、こういう人であってほしい」という民の願いのようなものが込められているのではないだろうか。遠まわしな社会風刺みたいな。

 実際は、いつの時代も悪事がはびこっているし、政治もまた然り。時代劇のような展開は、まさに夢物語に過ぎない。「そんな夢を夢で終わらせず、現実のものとしようじゃねぇか」という心意気と、「所詮、夢さ。ツラい現実から帰ってきた夕食時にでも観て、日々の鬱憤を晴らしてくんな」という、娯楽時代劇の側面を同時に感じることができる。“夢” という一字を好きになった作品だった。

 ホームページというものを始めた 1998 年当時、ネットという電脳世界は、うたかたの夢のようなものだった。皆、本名ではなく、ふざけた名前を名乗って本音を語り合う。そんな世界で名乗るなら、“夢” という一字は外せない。そういうようなことを考えて、夢崎などと名乗るようになったのだが……この名前を予想以上に長く使うことになってしまったのは少々、誤算だった。タイムマシンがあったら自分を説得しに行ってるところだよ。「悪いことは言わない。西園寺ペニスとかにしとけって」と。

 こういうペンネーム・ハンドルネームの類は歳を経るごとに恥ずかしくなってくるものだが、「夢崎ィ~? プークスクス」とでも言われた時、俺もいつかはカッコ良く口の端を歪めて笑えるだろうか。

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