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2006年2月10日

板垣伴信という “漢”

 本屋で久々に目に留まった「ゲーム批評」の表紙。「DOA4 総力特集」「板垣伴信ロングインタビュー」ときた。これは買わねばなるまい。鼻息を荒くして颯爽とレジへ持っていくことにした。

 板垣氏インタビューの記事は非常に面白かった。氏自身による “格闘ゲームの面白さ” の仕組みの分析、自分たちの開発力への絶対の自信。DOA のシステムの顔ともいえる「ホールドシステム」について、それまでの格闘ゲームを「読み合いというよりは、いかに決まった操作を早く入力するかのタイピングソフトのように感じた」とし、「麻雀でいえばマンズを抜いて打っている感覚」と例え、「マンズ=ホールド」を入れただけのこと、と読み合いの部分を重視した作りについて語る。このあたりは、格闘ゲームというジャンルが確立され、2D→3Dへの変遷を生で味わってきた世代にはウンウンと頷ける内容ではないだろうか。

(スーファミの「ストIIターボ」のバトルスピード最速による対戦は、相当な動体視力の酷使と、生半可なスピードじゃ技コマンドを受け付けてくれないため、それはそれで面白かったのだが、これはまた別のお話。)

 続けて板垣氏は格ゲーにおける、いわゆる「待ち」が嫌いということ、そのため DOA4 はかなり攻撃的な作りになっており、「攻めない中級者は攻める初心者に負けてほしい」と言う。このあたりも個人的にはスゴく同感だ。そして「難易度」の話になる。

 DOA4 の CPU 戦は、一般的には過去作より難しいと言われている。隠しキャラやコスチュームの開放は主に CPU 戦で勝つことによって得られるため、勝てないことには、いつまで経ってもそれらの要素が楽しめないことになる。このことについて、CPU に勝てない一部のプレイヤーから批判めいた声も出ていたのだが、板垣氏は「そんなことを言っているようじゃ、ゲームだけではなく、何も楽しめないし勝てないよ」と斬り伏せる。

 実は、この点についてもほとんど同感だ。最近の「ゲームをする人」は、昔の「ゲームをする人」に比べ、あらゆる意味でレベルが落ちていると感じる。要因は様々だと思うが、まず、ネットの普及により、攻略法などを自分で考えずとも、ちょっと調べれば分かってしまうこと。昔は友達同士の情報交換しか手段が無かったため、自分たちで何がなんでも先へ進むしかなかった。この点が大きく違う。

 次に、ゲームというものが昔と比べて当たり前の存在になり、その数も膨大に増えたこと。1つのゲームに詰まり、頭を悩ませるよりは、サッサと諦めて他のゲームを遊ぶという選択肢が用意されてしまった。昔は「コンピュータゲームで遊ぶ」という行為がすごく先進的で面白いものだったし、ソフト数が少なかったので今ほど似通ったゲームは少なく、1本1本がものすごく魅力的に映った。

 最後に、1本のソフトの大切さ。昔のゲームソフトは子供にとって今よりも “高価なもの” だったため、そんなにポンポンと買える代物ではなかったし、つまらないからと言って放棄しても、それ以外にゲームが無いのだ。「ゲームがやりたい」なら、それを遊ぶしかない。「1本のゲームをクリアする」ということが今よりも果てしなくハードルが高かったし、攻略情報自体も少なかった。そんな環境の中で苦労してクリアしたゲームは嫌でも記憶に残り、時には長い間ともに戦った戦友のようにすら感じ、今ほど簡単に「中古屋へ売る」という選択肢が考えられなかった。

 長くなったが、これらのことから、今と昔のプレイヤーではハングリー精神が全く違う。ちょっとやってみてゲームオーバーになったら、そこで割とすぐにあきらめてしまう。板垣氏の言葉には こういった点への危惧の意味も入っていると思うのだが、氏は一方で「なかなか最後まで遊ばせてくれるゲームが無い」とも言う。

「つまらなかったら当然すぐやめるし、調子良く遊べてても、腑に落ちない作りにぶつかると、
何でこう仕上げたんだ? と分析が始まっちゃう。そこでもうアウト。」

 一見、先の「そんなことを言っているようじゃ何も楽しめないし勝てないよ」という言葉と矛盾しているようにも感じるが、この2つの言葉の間には、現在のゲーム業界が抱える大きな問題が横たわっている。個人的に、氏と全く同じ感想を抱いたので、少し付け加えたい。

 ハッキリ言って、今のゲームは昔ほど “魅力” に溢れていないものが多い。たとえばゲームオーバーになったとして、「クソッ、もう一度」と「思わせる力」が無いのだ。もちろん全てのゲームがそうではないし、良いゲームは今でも、ちゃんと最後まで遊ばれる。しかし、その数が全体の数パーセントに満たないと感じる。氏の矛盾めいた言葉の真意は、ここにある。

 開発者が「これがベスト」と判断した難易度で出したが、プレイした人の半分以上が難しく感じて投げ出してしまった場合はアウト。ユーザーの声に耳を傾けすぎたせいで難易度を落とし、結果的に、クリアーしても何のカタルシスも得られない「ヌルゲー」になってしまったら、それもアウト。現状、この2種が溢れている。この中間を縫った良作が山ほど世に出されれば、ゲーム業界は伸び悩むことなど知らなくなるはずだ。

 ついゲーム観の話になってしまったが、板垣氏インタビューの記事は、氏のゲーム制作に向ける情熱を感じたし、反面、「他社ので好きなキャラといったらナコルルくらい。見た目もいいけど、けなげなところにグッとくる」といった、さっきまでの硬派なシステム語りをしていた氏は何処へ行ったのかと思うほどオタク寄りの意見も言ってみせる。格闘ゲームとしてストイックに突き詰めていく傍ら、目の肥えたオタク層を魅了するほどのキャラクターをも作ってみせる。

 最近オモテに出てくるゲームクリエイターというのは何か妙にカッコつけているというか、ゲーム=オタクというイメージを脱しようとしている様子がいやに鼻につくのだが、板垣氏は堂々と正面から受け止める。ゲームというものを面白くしようとする真剣な姿勢と、「こんなキャラじゃ俺は萌えないよ?」的な、萌え方面へも一切の妥協を許さない。記事を読んでいて思ったが、氏の、かすみに注ぐ愛情は異常だ。しかし、だからこそというべきか、「かすみ」というキャラは誰もが認める人気キャラに成長している。

 エロバレーのときから、私は板垣氏に一目置いている。この人は、DOA というゲームがエロい目で見られていることを重々承知している。普通は雑誌のインタビューなどでそういう面に触れられると「うーん、あんまりそういう方向で見られるのは本意じゃないんですけどねぇ……(笑)」とか言うクリエイターが多く、「自分で分かってて作っといて何言ってんだ」とか思ってしまうのだが、板垣氏は聞かれたらむしろ自身の萌え傾向を語りだす。そして、それに甘えることなく常に上を目指し、いい “萌え” が出来たと確信したならば、ユーザー側に「どうよ、この出来? 俺はこれに充分な萌えを感じてるんだけど、まだ少し、何か足りないと思ってる。なもんで、ちょっと発売延期するけどお前らは分かってくれるよな?」というオーラで押して、無言で語りかける。オタクの視線、なんてものではない。オタクを圧倒している。我々はヘビに睨まれたカエルだ。

 飾らない “ホンマモン” のクリエイター、板垣伴信。次の作品は「まず『DOAX』の続編ですね」と語るその言葉、我々も本気で迎え撃つ覚悟を引き締めたい。

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| コメント (3)

コメント

「ゲーム性をしっかり楽しめるモード」と、
それとは別に「エロを補完できるようなモード」とを別枠にしてほしかったのですよ。

エロと食欲、エロとお笑いは同居しないように、別個にしてほしかったなあ…

いや、友達の見ただけですけどね。第一印象として。


投稿者 ソニックウイングス : 2006年2月21日 11:03

一応「格闘ゲーム」なので、そんな「別にエロモード」とか
あからさまなことは出来なさそうではありますが、
おっしゃりたいことは分かります。
エロ写真撮るのも面倒でムズいしなァ……。

DOA、ひいては板垣氏の怖いところは、
「エロエロ言ってるのはユーザーだけで、
 我々はリアルな点にこだわって
 最高に美しいものを作っているだけ」
と言われたら、何も言い返せないところ。
ヤツラ、絶対分かって作ってるのに! 恐ろしい子!

エロバレーがスゴかったのは、あれだけのエロさを醸し出す
ほとんどエロゲー状態でありながら、
「何言ってるんですか。
 島でビーチバレーしてるだけですよ」
と言われたら「ですよね」と言うしかない点。
殺人犯だと分かってるのに捕まえられない刑事の気分。

要は、早くエロバレー2出せってことです。


投稿者 夢崎 : 2006年2月21日 14:52

硬派かあ?
板垣は昔っから
「霞は俺の嫁」
って公言してるキモヲタだぞ。

「"待ち"が嫌い」
「攻めない中級者は攻める初心者に負けてほしい」
つってる割りには待ちオフェンシブホールド有利すぎ。
ホールドは全部ディフェンシブホールドでいいだろ。


投稿者 sinja gaidenですか? : 2008年6月10日 11:27

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