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2011年6月12日

巧葉狂介/原 恵一郎『麻雀漂流伝』

表紙

 雀荘でアルバイトをする樹(いつき)は、バイトの休日に忘れ物を取りに、窓からコッソリ雀荘に入る。しかし、誰もいないはずの雀荘で見たものは、水槽に顔を突っ込まれている男と、その側に立つ店長の姿だった……。

 近代麻雀に連載されていた時は確か『麻雀漂流伝 樹海』というタイトルだったと思うのだが、何かマズかったのか、「樹海」が取っ払われた。これも『凌ぎの哲』同様、単行本化されておらず、雑誌で序盤しか読んでいなかったので先が気になっていたところ、コンビニ本として刊行されていたので買ってみた。

 コンビニ本とはいえ全1巻という時点でイヤな予感はしていたが、これは完全な打ち切りだろう。しかも残念なことに駄作だ。これがサウンドノベルなら、エンディングに近いバッドエンド。確実にトゥルーエンドが別にあるレベル。

 序盤の展開が良かっただけに、中盤以降の停滞感がキツかった。最初からこう予定していたのか、それとも打ち切り決定から急いでまとめに入ろうとしたのかは分からないが、結果的に『凌ぎの哲』とは対照的な作品となった。

『凌ぎの哲』は、プロを超えた麻雀打ちとしてのある種の頂点を描きつつも、その危険に見合った金も名誉も何もなく、明日生きているかどうかも分からないという空しさも描いている。
 それに対してこの作品は、中途半端な人間がそういう裏世界に足を突っ込もうとすると肩肘張ってロクなことにならないから、肩の力を抜いて、真っ当に生きて普通に麻雀を楽しもうぜ! という、「わざわざマンガで言うことか」といった展開になってしまっている。

「今があるからこそ、明日がオマケでついてくる」というのが『凌ぎの哲』だとすると、この作品は「明日があるから、今は無茶しないでおこう」とでも言えばいいのだろうか。現実として当たり前なのは後者だが、マンガの世界はそうじゃないだろう的な不満感のようなものがまとわりついてくる。

 劇中に「樹海」という単語が何度か出てくるが、麻雀好きが借金から逃れるために入った樹海で彷徨い、そのまま出られなくなって息絶え、その死体が見ている夢でも描いたかのような────そんなマンガだった。

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| コメント (2)

コメント

近代麻雀は読んでなかったのですが、近代麻雀ゴールドは読んでました。こっちは、雀鬼関連の漫画がかなりあったのですが、その中でもズバリ『伝説の雀鬼』(shoichi → 真説shoichi と続いた、第三部的な扱いの作品)が名作だったかと。 ただ、近ゴー廃刊に伴い、連載も終了してしまったので、単行本も3巻で止まってしまっているという…。 ご存知ないですか? 


投稿者 toshi : 2011年6月12日 12:52

私は逆に、近代麻雀ゴールドのほうは知らんのです……。
ただ、その話を聞くに、途中まで単行本化されてるにも関わらず、
最後まで刊行されないというのは当たり前になってるんですかねぇ。


投稿者 夢崎 : 2011年6月12日 16:50

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