« GHOST | メイン | この真珠のネックレスも、お前には似合わないんだよ!(by 継母) »

2001年2月25日

憧憬

 時計の秒針の音が嫌いだ。静かに眠りたい時でも、奴は容赦無く音をたてる。眠たかったはずなのに、その音で目が冴えてくることもある。「お前が寝ている間も、時間は刻々と進んでいるのだ」ということを嫌と言うほど囁かれている気分だ。そんなことはわかっている。時間が進むのはしょうがない。だから今だけは静かに眠らせてくれ……そう思いながら、気がつけば朝になる。

 夕食時、NHK で司馬遼太郎の「街道をゆく」をやっていたので、そのままつけておいた。長崎の「壱岐・対馬」の回だった。

 壱岐・対馬は島である。島での生活というのはどういうものだろうか。スーパーは? コンビニは? 本屋は? ゲームショップは? 何にしろ、新たな入荷品は海を越えて船で運ばれてくるのである。トラックではない。なんだかそれだけでワクワクしてしまう。

 よく「田舎」というと「不便だけど人とのあたたかい触れ合いがありそう、「都会」は「便利だけど、隣に住んでいる人の顔も見たことない、会っても挨拶すらしなくて冷たい印象」ということを想像しないだろうか。田舎に住んでいる人は都会の便利さ・品物の豊富さに憧れるし、都会に疲れた人は田舎の静けさ・あたたかさに憧れるのではないだろうか。実際はお互いに相当勘違いしている部分があると思うのだが。

 俺は本来、田舎が大っ嫌いである。なにしろ今住んでいる場所が田舎中の田舎で、田舎の不便さをよく知っているからだ。にも関わらず、壱岐・対馬を見て、ちょっと「住んでみたい」と思ってしまった。

 現在住んでいる場所は実に田舎で、裏は山だし、ちょっと車でとばせば海も見えるしで、なんとなく条件的には一緒な気がしなくもないが、田舎の「種類」が違うような気がする。そもそも時間の進み方からして違うような世界を見ているようで、無性に憧れる。風にそよぐ木々、木漏れ日の道、長い石段、神社、港、その近くにある薄暗い喫茶店……。テレビに映し出される全てが新鮮で、羨ましいものに感じた。マンガ「ヨコハマ買い出し紀行」が好きな人は、きっとこの気持ちがわかるのでは、と思う。

 金と時間(あと不老不死)さえあるのなら、あんな場所でダラダラ暮らしてみたい。

 もちろん、部屋には時計なんかつけないで。

adbar
adbar
adbar
adbar